講師紹介

講師
名古屋大学大学院・教育発達科学研究科 教授 早川 操
略歴
三重県伊勢市出身
名古屋大学大学院・教育学研究科博士課程 満期退学(昭和57年3月)
コロンビア大学大学院博士課程修了(Ph.D.昭和59年5月)
市邨学園短期大学保育科 助教授
名古屋大学教育学部 助教授
同 教 授
現在 名古屋大学大学院・教育発達科学研究科 教授
所属学会
日本教育学会、日本教育哲学会(編集委員)、日本デューイ学会(理事)
アメリカ教育哲学会、日本教育史学会、日本教育社会学会
著書等
・『デューイの探究教育哲学』名古屋大学出版会(1994年)
・「公共的想像力の育成からみた現代教育理論のパラダイム転換」『教育の可能性
を読む』情況出版(2001年)
・「ポストモダンの人間形成論再考」『現代教育学の地平』南窓社(2001年)
「総合的な学習の時間について−問題解決学習とのかかわりから−」
1 はじめに−「総合的な学習の時間」導入の背景とインパクト
2 戦後の「問題解決学習」の課題と限界
(1) 横断的・総合的な学習の草分け−戦後の問題解決学習
(2) 問題解決学習とデューイの「思考=探究の方法」
(3) 問題解決学習の特徴
(4) 問題解決学習への批判
(5) 問題解決学習のその後
3 総合的な学習の時間の行方−問題解決学習との違い
(1) ダイナミックで客観性をもった学習状況としての総合的な学習の時間
(2) 総合的な学習の時間の特徴
(3) 総合的な学習の時間の評価方法−教師と生徒にとっての評価の観点
(4) 今後の展望
4 まとめ−総合的な学習の時間への期待と課題
(1) 総合的な学習の時間の中に「生きる力」は潜んでいるのか?
(2) 総合的な学習の時間と個性的な自分探し
1 はじめに−「総合的な学習の時間」導入の背景とインパクト
2003年度から高校に総合的な学習の時間が導入されることになっている。この動きの背後には、教育改革の影響があるのは言うまでもない。そこには、新しい時代の教育課題にこたえる(国際化・情報社会・環境・福祉社会への対応)ため、学校教育も変わらなければならないとの認識がある。学校教育によって、激しく変化する社会状況に対応できる能力を生徒に育成することは可能なのか。
総合的な学習の時間は、マニュアル型知識注入教育の弊害に対応するための工夫でもある。学校教育全般にわたって、「ゆとり」をもたらし「生きる力」を育成するというのが今回の教育改革のねらいでもある。教師に対しても、従来の体系的・系統的に教科の知識を教えるという教授スタイルに加えて、「教科横断的な知識内容」を学習させる指導能力が要求されるようになってきた。教師にも国際化、情報化、横断的・総合的な学習に対応できる能力が求められるようになったのである。
総合的な学習の時間とは、教科横断的な「内容」を生徒が学習するような状況を教師が設定・提供する時間である。そのねらいは、生徒が「主体的に考え行動する方法」を学ぶ時間である。戦後、横断的・総合的な学習とよく似た「問題解決学習」が小学校や中学校で実践されたが、高校ではこのような学習が大幅に導入されるのは初めてであろう。大学でも、学際的・実践的知識志向の教育への取組が新しい学部などで導入されはじめている。このように、教育改革の流れの中で、生徒や学生の「自主的問題解決能力」を育成するという動きを見いだすことができる。
学習指導要領に規定された学習内容が3割削減されることもあり、総合的な学習の時間が導入される前から、すでに「学力低下」に対する批判が出ている。かつて問題解決学習が普及した際にも、生徒の学力低下の元凶であると批判された。総合的な学習の時間は限定された時間内で取り組むものであるが、生徒にどのような学力を付けようとするのか教師がしっかりと認識する必要がある。生徒に「生きる力」を育成することによって「ゆとり」をもたらすために、教師には新たな努力が求められようとしている。
2 戦後の「問題解決学習」の課題と限界
(1) 横断的・総合的な学習の草分け─戦後の問題解決学習
戦後の問題解決学習には、現在導入されようとしている横断的・総合的な学習と共通した特徴が幾つかみられる。教科横断的であること、経験学習や体験学習を取り入れていること、考える態度を育てること、生徒の学習が中心となること、などがそれである。かつての問題解決学習の代表的な例としては、昭和20年代から30年代にかけてコア・カリキュラム連盟が提案した「三層四領域」カリキュラムと呼ばれる統一的経験カリキュラムがある。これは、教科カリキュラムの代わりに、「表現・社会・経済(自然)・健康」という四つの学習領域を設け、それらを学習する形態や方法を「生活実践課程・問題解決課程・基礎課程」の三つの層に分類したカリキュラムである。
三層 |
四領域 |
| 生活実践課程 問題解決課程(生活拡充課程) 基礎課程(系統課程) |
表現・社会・経済(自然)・健康 |
このカリキュラムは、小学校から高校に至るすべての段階で実践されるものとして考案された。三層についてはあらゆる学年で学習される課程ではあるが、それぞれの発達段階によって重点が置かれる課程は異なる。小学校低学年では生活実践課程に、小学校高学年や中学校では問題解決課程に、そして当時は、高校では基礎課程に重点を置くという提案がされた。高校への進学率がそれほど高くなかった時代としては、高校教育の目的は体系的・系統的な知識の学習であると考えられたのは当然かもしれない。

(2) 問題解決学習とデューイの「思考=探究の方法」
戦後導入された我が国の問題解決学習は、アメリカの教育学者であるジョン・デューイの考えをモデルとしたものが多かった。とりわけ問題解決学習の過程について説明したものを見ると、そのことが明らかになる。問題解決学習は、生徒が自らの疑問や葛藤から出発して、それを解決していく中で様々な知識や技能を獲得していく学習過程である。同様の考えは、デューイの「思考の方法」と呼ばれるプロセスにもみられる。問題解決学習と思考の方法の諸段階を比較してみよう。
コアカリキュラム連盟が提案した問題解決学習では、その学習過程は次のように説明されている。
@ 生徒が問題に直面すること
A 問題を明確にする
B 問題解決の手順の計画を立てる
C その計画に基づいて、問題解決に必要な資料としての知識を集める
D 知識を交換し合うこと、そして集められた知識を基にして問題解決の見通し(仮説)を立てること
E この仮説を検討し、確実な解決方法に達すること
このように、「問題→その解決のための手段や計画を考案→知識の収集・交換による仮説設定→仮説の検証→問題解決」という流れを、一つの学習過程のモデルとして提案している。
この過程に含まれる学習のねらいとしては、「自分で問題について考える態度を養うこと」「様々なアイデアや知識を自らの努力によって調べること」「他の生徒たちと情報交換や協力をすること」「行動によって体験したり調べたりしてみること」などが含まれる。教師が一方的に知識を提供しないこと、生徒が自らの学習によって知識を獲得することが、「経験学習」とも呼ばれる問題解決学習の特徴である。生徒の積極的な学習を授業の中心に置いたのは、自主的に自分で考え、将来直面する様々な問題に積極的に取り組める人間を育てることが、戦後の民主的社会を建設するためのかぎであると考えられたからである。問題解決学習は、民主的な社会を支える人材育成の手段と考えられた。
この過程を、デューイの思考の方法と呼ばれるプロセスと比較してみると、多少順序や表現は違うものの、共通した特徴が見いだせる。デューイによる問題解決の思考の段階は以下のように説明される。
@ 不確定な状況において感じられた困難
A 一つの問題の設定
B 解決策としての様々なアイデアを思い浮かべること
C アイデアを推論によって精緻化する過程=行動計画としての仮説を設定する過程
D 行動による仮説の検証
E 統一されたまとまりをもつ確定した状況の出現
これによれば、我々がふだん問題解決をする過程は、問題状況→問題設定→解決のためのアイデアを推測→考えを練る(知識や情報の獲得)→仮説の検証→安定した状況が再度出現するという段階で説明される。この場合には、日常生活での問題状況が想定されているが、それを教室での授業時間に当てはめてみれば、授業でも同じ学習=思考のプロセスが生じるというわけである。したがって、教室での学習が目指すのは、思考の方法を訓練することである。
この問題解決の訓練をする過程では、生徒がもっている「探究する興味・関心」を伸ばそうとする。それらは以下の四つの興味・関心であるという。
@ 会話・個人的やりとり・コミュニケーションなどの「社会的表現」の関心
A 見付けたり調べたりする「探究」の関心
B ものを制作したり構成したりする「構築」の関心
C 洗練された形で表現表示する「芸術(アート)的表現」の関心
問題解決のプロセスには、単に「知的な要素」だけでなく、「社会的表現・創造的制作・芸術的表現などの要素」も含まれる。問題解決学習に対しては、生徒が知的・社会的・行動的・芸術的な「総合的な探究能力」を形成していくことが期待されたのである。問題解決学習で培った能力は、教室だけで終わるものではなく、学校を卒業してからも活用できるものであるという考えから、生徒自らが置かれた「状況を変えていく力」を育成することが問題解決学習の本来の目的でもあった。
(3) 問題解決学習の特徴
問題解決学習のプロセスを説明する中で、その特徴についても少し触れたが、その特徴について私なりにまとめたものを説明してみたい。問題解決学習は、以下のような特徴をもつ。
ア 実践知(感性・知識・行動の統合)を育てる
問題解決学習では、感性と知性、知識と行動、理論と実践、生徒の興味・関心と教科カリキュラムとの統合が重視される。このような特徴は、「知識のための知識」の学習を重視する立場からすれば、「反知性主義」とみなされるかもしれない(後に、問題解決学習は学力の低下をもたらした原因だと批判された)。
イ 大学での「リサーチ」中心の学習とのつながりがみられる
問題解決学習の背後には、20世紀の教育方法に革新をもたらした「探究(リサーチ)を通じての学習」という理想があった。この学習方法は、とりわけアメリカの大学では、リサーチ活動を通じて培われる「想像力・創造性・独創性の基礎を育成する」という期待が込められ、高校などでも幅広く採用された。この方法の導入の背後には、小・中学校・高校・大学を通じて共通の学習方法が浸透するとき、優れた学習成果が期待できるという希望があった。
ウ 状況を創造する力(「生きる力」)を育成する
問題解決学習は、問題を解決する過程で様々な知識を習得するという目的とともに、問題や課題がもたらした「不安・葛藤・悩み」などを克服する力を育成し、問題「状況」と言われる不安定な場をより安定した状況へと変えていく力を身に付けさせることを目的とする。
「生きる力」には、「不安や問題状況に耐える力(心理的問題対処能力)」、そのための「知識やスキルを習得する力(知的問題解決能力)」、「問題状況を変容する力(行動的状況変容能力)」が含まれ、問題解決学習にはそれらを育成促進する要因が含まれている。
エ 問題解決学習の中核にある「探究する態度」が自己形成の基礎を築く
学校教育が修了すれば自己の教育は終わるというのが常識であるが、長い人生を生きていくには様々な状況で生かすことのできる「探究(=学習)の方法」を学ぶことが大切である。問題対処能力、考える力、問題解決能力などは、それぞれの生徒が将来取り組むであろう生涯設計の基礎となる。
オ 問題解決学習の計画を立てることが重要
生徒の興味や関心の広がりを、学習行動の計画(カリキュラムやプログラム)として組織することが必要である。生徒が考える習慣を身に付けるためにも、考えることを刺激するような興味深く知的内容をもった学習計画案を蓄積していくことが求められる。
カ 教師の役割は援助者・アドバイザー・状況提供者へと変化する
教師に期待される役割は、生徒に知識を注入することから、生徒が自ら知識を探すための学習状況を構築する状況提供者やアドバイザーになることへと、強調点が移動した。教師の力量は、生徒が問題解決能力をもった自己学習者へと育てることで評価される。
(4) 問題解決学習への批判
以上のような特徴を指摘してみたが、問題解決学習は、知識を系統的に学ぶことを中心に学校教育が設計されてきた我が国の教育的伝統となじまないことも多く、様々な批判がわき上がった。とりわけ批判が向けられたのは、「活動中心の学習」であった。それは、生徒が活動的に動き回れば学んでいるという安易な考えに陥り、問題解決学習は「はいまわる経験主義」にほかならないという批判が高まった。それらの批判の代表的なものを幾つか紹介しておこう。
ア 問題解決による学習の有効性と限界
問題解決学習は生徒に新しいタイプの学習方法を学ばせるという点では意義があったが、教科の知識の学習にとって代わることができる、という考えには無理があった。
イ 教科間のつながりと区別を軽視
教科に関する知識の教え込みや注入を批判して、学習における生徒自身の活動や体験を重視したが、様々な教科を結び付ける教科横断的な試みは十分に開発されないままで終わった。
ウ 学力低下の発生
生徒の実践活動を重視することよって、体系的な知識が軽視され、「学力低下」が生じたと批判された。その結果、生活現実より「文化遺産」を、経験より「論理的思考」を、行動的解決より「基礎学力」を重視すべきであると指摘された。
エ 教科の知識を学ぶ範囲や順序の無視
生徒の自主性や主体性を育成することが重視されたが、「学習の広がりや深まり」という点での配慮が十分でなかったと批判された。
オ 客観的評価が困難
問題を積極的に解決する能力や態度の育成には、具体的に評価することが難しい不確定な要素が含まれていて、客観的な「評価」が難しいことが指摘された(新しい学習成果を、従来の基準で評価することの矛盾)。
カ 教師による指導の難しさ
「指導しない指導」や「立場なき立場」という考えは、生徒に指導することを学んできた教師にとっては抵抗感があり、そのような指導は責任放棄や放任につながると批判された。
キ 高校段階では積極的には導入されなかった問題解決学習
高校では大学進学率の高まりとともに、問題解決による学習では進学準備に差し支えがあると考えられた。
言うまでもなく、問題解決学習を採用した学校では、生徒の積極的な学習意欲の向上、自主的な知識や情報収集能力の向上、主体的に考える力、当面の問題をそれなりに納得できる形で解決する力、などを高めるためのカリキュラムや学習活動を展開できたところもあったが、そうでないところもあった。後者のようなところでみられた形骸化した問題解決学習の実践が目立つようになるとともに、批判も高まっていった。
(5) 問題解決学習のその後
問題解決学習は、その後も主に小学校の社会科などでは継続して実践されてきた。しかし、大学進学率の上昇と高学歴社会の到来によって、教科の知識を中心とした学習が普及することになる。この間の動きは、中教審答申などでも指摘されているように、学歴社会における偏差値教育が学校教育の主流となるとともに、「試験のための知識教育」が勝利する過程でもある。それはある意味では、問題解決学習に対抗する学習方法として、知識体系と知識の系統性を重視する「系統学習」が広まっていく時期でもあった。
3 総合的な学習の時間の行方─問題解決学習との違い
(1) ダイナミックで客観性をもった学習状況としての総合的な学習の時間
総合的な学習の時間が導入されるに当たって、どのような意義や魅力があるかを教師や生徒が納得することが大切である。あらゆる教科の授業が興味がもてるものならば問題はないが、現実にはそうはいかない。総合的な学習の時間には、従来の教科の授業とは違った要因がみられることを理解すべきである。この学習には、「生徒が参加したくなるような要素」と「多くの人を納得させる学習内容」を結び付けたかたちで取組を促進させるための「二段構え」の工夫が求められる。
ア ダイナミックな学習
第一段階としては、生徒が関心をもてるような総合的な学習の時間の「ダイナミックな側面」を理解しなければならない。それは、学習内容として、生徒に学習に没頭させるような興味深い要素がみられるか、生徒がそれを意味あるものとして学習できるかという側面である。教師にとっても、自らの専門教科とは違う学習で、生徒をどのように指導できるかという課題が示される。知識の一方的な注入に対する批判が指摘されているが、これは別の観点から見れば、総合的な学習の時間は、生徒に学ぶことの意味や楽しさを教える力量や、生徒を育てようとする態度を、教師がもっているかどうかが問われる時間でもある。
イ 批判に耐える知的内容の学習
第二段階の工夫としては、総合的な学習の時間が意味のない活動や体験にならないよう、生徒を含め他の人々を納得させるに足る「知的内容の学習」を保障することである。問題解決学習が批判された理由の一つは、批判されたときにその矛先をそらすに十分な知識や知的スキルを学習させていなかった点にある。国語、地歴公民、統計、さらには美術、音楽、コンピュータなど、様々な教科の学習方法や知識を、時と場所に応じて活用することが求められよう、図書館を活用するためにも、図書や資料などの充実に力を注ぐべきであろう。
このような二段構えの工夫を総合的な学習の時間に生かしていくためには、「教師間の協力」が大切である。総合的な学習の時間のデザインと実施には、教師同士の協力によって学年や学校独自の「教育プログラムをつくる」という精神や態度が求められる。学校改革の進展のかぎは、どれだけ広範囲かつ長期にわたる展望をもって教師同士が建設的に力を出し合うことができるかということにある。この点では、高校も大学も同じ課題に直面している。
(2) 総合的な学習の時間の特徴
ア 総合的な学習の時間のねらい
総合的な学習の時間の特徴を知るために、高校教育の主流を占める教科の知識や技能の系統的習得を目的とした学習と比較してみよう。ここでは、系統的な知識習得中心の学習を「目的志向型学習」と呼ぶことにする。
現実には、高校教育では目標志向型の学習が主流を占めるが、職業教育や専門教育を主とする学科においては、呼び方は異なるにしても、すでに総合的な学習の時間に似た形態の学習が実施されてきた。そのような学習とは、課題研究、総合実習、実験・実習などであるが、専門教科として位置付けられているとしても、その学習方法や形態は総合的な学習の時間のそれと共有し合う部分がある。

(ア) <目的志向型学習>の特徴
目的志向型の学習では、教科の知識を習得するために特定の領域において一つの機能を集中的かつ高精度に集約して提示し学習させることをねらいとする。そのような学習時間は、理想的には、知識や情報が緊密につまった教室の中で、それを最大限に吸収できるように生徒が集中して取り組むことである。そのような学習時間としては、受験を目指した試験科目の授業、英語の講読、試験のための学習などが考えられる。その学習活動は、集約的・高密度ではあるが受動的・道具的な特徴をもつ。
(イ) <総合的な学習の時間>の特徴
それに対して、総合的な学習の時間では、学習内容が粗い精度で分散して構成されているため、生徒が自ら進んで参加して知識を構成する態度を育成することをねらいとする。その意味では、総合的な学習の時間は、生徒自身が参加してつくる学習である。生徒が自分で「調べる=リサーチする」活動が中心になるため、「知識を教える活動」ではなく、「活動を通じて知識を学ぶ」という実践知のスタイルをとる。具体的な学習スタイルとしては、体験による調査学習、英語で表現し発表する学習活動、調査や活動が中心となる実習・実験・インターンシップ、自分で調べて作成するレポート報告などがある。この学習活動は、参加構築的・興味充足的・課題解決的・制作的な特徴をもつ。
イ 教師と生徒から見た総合的な学習の時間
(ア) <目的志向型学習>における教師と生徒
目的志向型学習では、大学受験のように一つの目的が設定され、教師も生徒もその目的に合意している。教師は教科の専門家であり、生徒よりも多くの知識量をもつことを知っている。したがって、教師が生徒の学習方向を決定し指導する。学校制度・資格・専門知識が教師の権威と指導力の基盤となる。受験や就職という生徒の目的意識が高いほど、学習は効果を発揮する。
(イ) <総合的な学習の時間>における教師と生徒
総合的な学習の時間では、生徒が教科横断的・総合的な知の学習に取り組むため、目標は多様であり、学習成果も個々の生徒や集団によって異なる。この学習は教師と生徒が協働して学習の場をつくるため、教師は基本的には学習状況の設定者・企画者であり、生徒の学習を促進する援助者である。生徒は、自らの知的関心を深めるため情報を収集したり活動的に調査したりして、自己学習者になるための訓練をする。教師の指導力は、専門知識を教えることによってではなく、生徒が教師の援助を得ながらも自分で知識を構築生産することによってである。そのため、教師は、生徒がつくりだした予期せぬ学習成果から学ぶこともあり、そのような成果が多ければ多いほど総合的な学習の時間は成功したと言える。その意味では、教師にも、予期せぬ学習状況に対して臨機応変に対応し、総合的な学習の時間を消費するのでなく構築していくことが求められる。学習の目標と成果は生徒自身が考えて決めるにしても、教師はそれが実現可能であるかどうかをアドバイスしなければならない。
ウ 総合的な学習の時間の利点と課題
目的志向型学習と総合的な学習の時間は、それぞれが強調し育成しようとする能力、技能、態度が異なるため、それぞれに利点があるとともに課題もある。
(ア) <目的志向型学習>の前提
目的志向型学習の指導に当たっては、教える内容や範囲が明確であり、問題に対する解答が分かっているものが多い。教師にとっては、教える範囲も明確で、教授する知識も具体的である。したがって、教師にとっては何を教えたか、生徒は何を学んだかを具体的に指摘することができる。指導の仕方が優れているかどうかの判断も、具体的な知識をどれだけ体系的に分かりやすく説明しているかが中心になる。この指導スタイルでは、効率的な知識伝達を目指す講義中心の授業が展開される。生徒にとっては、何を学べばよいのかが具体的に理解できるため安心できるであろうし、教師にとっても教科の知識を適切かつ効率的に教えることが評価基準になるため納得がいく。教師にとっては、限定された学習目標に対して責任をもつことが中心課題になる。
(イ) <総合的な学習の時間>の前提
総合的な学習の時間の指導では、教科横断的な幅広い知識や技能を教えることが要求され、教師にもそのような教え方をできるような準備が求められる。この学習指導の主眼点は、生徒が自らの知的関心を伸ばすために学習に参加して、自分で学習成果をつくりだすことにある。したがって、教師の指導では、学習状況にどのようにして参加させるか、知的な内容をいかに学習させるか、どのようにして情報収集活動を援助するか、知識や情報の構成・制作をどのように援助するか、という観点が重視される。自分で調べて学習成果を制作するという作業活動が求められる生徒にとっては、すでにある程度の「自己教育(学習)力」をもっていることが前提とされる。生徒がこのような学習スタイルで小学校段階から鍛えられてくることで、高校でも数年先には総合的な学習の時間は定着するであろう。教師にとっても、教科に関する知識の専門性を高める研修のほかに、自らもオープンエンドの課題を見付けて探究していくような課題探究学習に取り組むことによって、総合的な学習の時間を指導する力量が高められるであろう。
これら二つの学習スタイルの指導には、課題もある。
(ウ) <目的志向型学習>の課題
目的志向型の学習は(入試準備などを含めて)高校教育でも主流の位置を占めているが、知識の一方的な伝達に終始して生徒が受け身的になるとか、解答を記憶するだけで自分で考えることをしないとか、考えているように見えても、自らの知的興味に支えられたものでないとか、授業が決まりきった形式的なものになるなどと批判されている。
(エ) <総合的な学習の時間>の課題
それに対して、総合的な学習の時間で予想される問題点としては、入試準備などと違って学習目標があいまいでどんな役に立つかはっきりしないこと、生徒によって学習への取組や参加度に差が出ること、教師は自分の専門性以外の成果を評価しなければならないが、生徒の学習成果を適正に評価できるシステムが未開発なこと、などが考えられる。総合的な学習の時間を指導する教師にとっても、それを学ぶ生徒にとっても、「なぜ」それに取り組まなければならないのかという疑問を自分自身で納得でき、その可能性を信じることができるかどうかが最大の課題であろう。
(4) 今後の展望
最後に、今後の総合的な学習の時間の展望を述べておこう。
ア 生徒の主体的参加型学習と教師による指導とのバランスを配慮すること
・総合的な学習の時間は、これまでの講義中心の授業や講義に少し実習活動を組み込むような学習スタイルから、「実習活動中心の時間に講義や説明を組み込むような学習スタイル」へと変わることを意味する。教師の指導がアドバイス中心になる中で、教師の指導内容がどのようなものになるのかを考えていく必要があろう。
イ 教科間の協力による総合的な学習の時間を実現すること
・総合的な学習の時間は、教科横断的な学習であることが指摘されているように、一人の教師だけでなく「複数の教師間の協力によって新しい学習プログラムをつくっていくこと」も求められる。これまでの教科の授業と異なり、教師集団がどのような協力体制をつくれるかによって、それぞれの学校独自の特色が発揮されてくるであろう。
ウ 集中的に調査する習慣を身に付けさせることによって、学習の広がりや深まりを追究させること
・体系的な知識を効率的に学ぶスタイルは大切であるが、それとともに様々な知識や情報を収集して「自分で知識を編みだし生みだす方法」を学ぶことも今後は必要となるであろう。
エ 学校内だけでなく、地域社会のリソースを活用すること
・学校内でも教師を中心にして、コンピュータや図書館などを利用できるが、今後は大学などを含めたほかの教育機関や地域社会の人的知的リソースを利用できるように協力を求めていくべきであろう。
オ 新しい評価方式を確立すること
・従来の数字による評価方式は総合的な学習の時間になじまないため、数量的な基準による評価ではなく、「質的な基準による評価の導入と活用」を考えるべきであろう。教師による評価も、生徒の具体的な学習内容と活動の質を記述したものにして、生徒自身も学習成果を評価されるものとして残しておくべきであろう。
カ パターン化して型にはまった学習にならないような工夫をすること
・総合的な学習の時間も何年か経つと、指導のためのノウ・ハウや生徒の学習成果も蓄積されてくる。それとともに、教師も生徒も過去のやり方を踏襲することになり、「型にはまって形骸化」するおそれもある。生徒個人にとっては、新鮮な学習状況となるように工夫する必要があろう。
キ 総合的な学習の時間の成果を進路選択に生かせるように工夫すること
・総合的な学習の時間の意義を、生徒に納得してもらうためには、短期的には、大学などの進学にとって有益であることが身近に証明されること、長期的には、将来の生活や仕事において役に立つであろうことを、教師や外部の有識者などから話してもらうことが必要になろう。大学などに協力を求めるのも一つの方法である。
