渡辺 錠太郎(わたなべ じょうたろう)  <時代>昭和時代  <地域>尾張
渡辺錠太郎 銅像(西林寺境内)

<関係地> 小牧市小牧4−2  西林寺(名鉄小牧線小牧駅下車、徒歩5分)
<業績>
 渡辺錠太郎は,小牧で生まれ,19歳で岩倉の渡辺家の養子となった。独学で士官学校に入学し,陸軍大将,教育総監の要職に就いた。昭和11年2月26日未明,二・二六事件の犠牲者の一人となった。
 帰省のたびに,小学校で講話をした。地元の青少年への影響は偉大なもので,「渡安会」という団体も結成された。

<年譜>
1874年(明治 7) 愛知県小牧町に生まれる
1894年(明治27) 陸軍士官学校入校
1896年(明治29) 陸軍士官学校卒
1900年(明治33) 陸軍大学校入学
1903年(明治36) 同大学校卒業
1904年(明治37) 日露戦争に従軍、大本営参謀
1905年(明治38) 山県有朋元帥の副官
1931年(昭和 6) 陸軍大将
1935年(昭和10) 陸軍教育総監
1936年(昭和11) 二・二六事件で暗殺される  
<学習のポイント>
 五・一五事件で政党政治が終わりを告げ,二・二六事件で軍部の政治への介入が決定的になった。これらの事件を調べることにより,日中戦争、太平洋戦争と続く昭和前期の政治の動きを明らかにしてみよう。

<見学のポイント>
 小牧市の西林寺には銅像があり、養子先の岩倉市の正起寺にはお墓がある。

<参考資料>
「岩倉市史」「わたしたちのまち岩倉(二訂版)」

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